スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  

 Posted by ミリタリーブログ  at 

ホース・ソルジャーとカニと修造と



ホース・ソルジャーネタ4日連投です。
我ながら頑張りました。
「堰を切ったような勢い」とはこのことですね(笑)
劇中装備の話やらリアルホースソルジャーの話をしてきましたが、ようやく映画としての感想、レビューを書いていこうと思います。

今回は文字多めでいつにも増して濃い目ですので、「鼻毛を抜くぐらいしかやる事が無い」ほど暇な方が、鼻毛をすっかり抜いた後にでも読んでいただければと思います。
※ネタバレを気にされる方、この映画を「すげー面白かった!」と思った方は、鼻毛を抜き終わってもお読みにならない事をおすすめします。

まず総評を書こうと思います。
「9.11の直後に勇敢なアメリカ兵士とその家族が、自らの身を賭して勇敢にテロリストと闘い、勝利した英雄譚があるんだよ」と、9.11をリアルタイムで知らない世代に紹介する教材という意味では、ちょうど良い作品なのかなと思います。
まあ一言で言うと「アメリカ軍かっけー!グリーンベレーかっけー!!」映画ですね(笑)
私は好きです。

ミリタリー趣向的には「初期アフって言葉は知ってるけど、詳細はよく知らない」という方には非常に良い取っ掛かりになると思います。
あとはストーリーも分かり易く、映像も迫力ありますので、普段あまり映画を観ない方にとっては映画体験としても楽しめると思います。
逆に言うと原作を読んでいたりある程度2001年の戦いの動向を既に知っていたり、映画をたくさん観ている方にとっては、ミリタリー的にも映画経験的にも得るものはあまり無いと思います。
また、個人的には「リアル」に徹底して欲しかった想いが強かった為、トンデモ戦闘シーンの数々や、クド過ぎるステレオタイプなタリバン描写等はノイズでしかありませんでした。

個人的な史実系大作戦争映画番付イメージとしては、プライベートライアン=BHD=シンレッドライン=プラトーン>>アメスナ=ロンサバ=13時間>ハクソーリッジ=本作といった印象です(他にもたくさんありますが割愛してます)。
多感な時期に観たこともあってか、私の中では下記作品が何度も何度も見返している不動のトップクラスです。






ストーリーについて
今月号のコンバットマガジンでDJちゅうさんが書いていた「ナウシカみたい」という言葉が非常にしっくりきました。
原作のクライマックスパートが丸々カットされているのは残念でした。
こんな中途半端な内容にするなら、今流行の「映画以上の巨費製作費」ドラマとしてNETFLIX等で作って欲しかったと節に思います。
(作品権を握るジェリー・ブラッカイマーとネット動画配信業界はどういう関係かは全然知りませんが。)

史実なので仕方ない部分もあるかと思いますが、起伏が無く、テンポとしては少し冗長に感じました。
また、物語の背骨となるドスタム将軍とネルソン大尉が信頼関係を築いていく過程は、一応起承転結はありましたが陳腐で、ドラマとしての見応えはイマイチでした。


このあたりは「いちアクション映画」としてみると欲を言い過ぎなのかもしれませんが、史実系のリアル路線映画として認識していましたので、個人的には物足りなかったところです。
「敵が共通というだけで、全く未知の人間」とどうやって信頼関係を築いていったか?をもっとしっかり掘り下げて、普遍的なメッセージまで落とし込んで欲しかったところです。

ただ、ドスタム将軍については全キャラクターの中でもしっかり描かれている方で、役者さんの雰囲気もあってよかったです。
一緒に観た友人は「デニスの植野にしか見えなかった」と言っていましたが(苦笑)



たしかに似てますね(笑)


演出について
装備が日を追うごとに汚れまくっていく過程等は雰囲気があってとてもよかったです。


所々にあるODAのチームメイトの「じゃれ合い」は戦争映画屈指の「良い雰囲気」が醸し出せていたのではないでしょうか。


全体的な画の感じや、効果音や特殊効果は「さすが大作系」と思える趣がありましたし、映画館に足を運んで鑑賞する価値を感じられました。

また、銃撃表現に関しては空薬莢がしっかり飛んでいるのは好印象でした。
終盤、ドスタム将軍が拾ったAKS74Uをコッキングし、装填されていた弾が排莢されるところまで描写されていたのには心の中で拍手しました。

タリバンについては描写があまりにもステレオタイプで、少し呆れてしまいました。
「タリバンは性差別的で非人道的で、こんなケダモノ共は全員米軍に殺されて当然!」と言わんばかりのシーンを結構長めに見せられます。
このグローバルなご時世に、こんな一方的なイメージを押し付けてくるのも珍しいというか、作品としての薄っぺらさを感じてしまいました。
相手が架空のエイリアンだったらこれくらいでもいいでしょうが、同じ人間同士、しかも実在する思想なわけですので、「どうしてタリバンがこんなに過激な思想になったのか?」「そもそもなんでこんな恐い人達がアフガニスタンを掌握できたのか?」を考えたり調べようと思うきっかけになるくらいの含みは持たせるべきだと個人的には思いました。

ここはまさに映画演出の妙だと思います。
以前ライムスター宇多丸のラジオ番組で「カニと修造理論」というのを聞きました。


それについて非常に分かり易い文章を下記URLで見つけましたので、抜粋します。
https://www.aap.or.jp/aapblog/%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%81%A8%E4%BF%AE%E9%80%A0%E3%80%80%E7%90%86%E8%AB%96/

「松岡修造さんがグルメレポーターを務める『くいしん坊!万才』で、修造さんが漁船の上でカニを食べるシーン。
採れたてのカニをゆで、脚をバキッと折って、プリップリッの身を口いっぱいにほおばる。
甲羅をパカッと開けてカニみそを味わう。超おいしそうですよね。
その前には、なかなかカニが獲れずに苦労する修造さんの画。
やっとの思いで手にしたカニは本当においしそう。
「やったぜ、ついにカニが食べられる!超新鮮!超うまい!」ってもう完全に修造さんの気持ちになっちゃいますよね。

ところが、カニを食べる前に、ファインディングニモのような海の中の生き物の楽しく穏やかな生活のシーンを挿入したとする。
お母さんガニが赤ちゃんガニを連れて初めてのお散歩に出かける。
赤ちゃんガニはお母さんガニに寄り添って初めて見るきれいな海の世界に目をパチクリ。
そこへ修造さんが現れてお母さんガニを捕獲。ひとり残され泣き叫ぶ赤ちゃんガニ。
修造さんは母さんカニを調理し、脚をもぎ胴体を分解して、満面の笑みで、「いただきまーす!」と。
お母さんガニを食べる修造さんは完全に悪魔か何かです。カニ側の気持ちで映像を見てますから。」

修造=ODA、カニ=タリバンと置くと、この映画は前半の描き方になりますね。
家族の為や、脅されて仕方なく従軍しているタリバン兵士も多くいたはずです。
そこに何の警告も無く、突然天高くから爆弾を落として爆殺するわけです。
しかも背を向けて逃亡したり、手を挙げて投降している兵士も容赦なく撃ち殺します。
映画内ではこのようなシーンの前にタリバンの非道さを強調しているので「こんなやつら死んで当然。ざまあみろ!」という感情を促すような構成になっています。
2018年というご時勢でグローバルに配給する「史実映画」で、こんな歪んだ勧善懲悪演出は古臭いというか陳腐というか、率直に「ダサい」と思いました。

グリーンベレーはじめ現地で戦った米国兵士を「祖国の為を思って戦った英雄」と賞賛する事は大賛成です。
但し、その敵も己が正義を信じて賢明に戦った事を忘れてはいけません。
敵味方の熱い闘志のぶつかり合いを克明に描き、戦争とはなんなのか?平和とはなんなのか?を観た者に考えさせる事が「戦争映画」のあるべき姿だと私は思っています。

書いてて思いましたが、まさにこれは「ガンダム」が伝えているメッセージそのものですね。


ほぼ40年前のアニメでこれをしっかり描ききっているわけですから、ジャパニメーション恐るべしですね(笑) 日本の誇れる文化になるわけです。


戦闘シーンについて
「馬」がキーワードなので、馬を活躍させたい気持ちはわかりますが、戦国時代よろしく馬に乗って敵陣に突っ込む描写はやはり「残念」と思わざるを得なかったです。


「なんで自分は被弾しないで、走る馬上から片手で撃つ弾がバリケードに隠れている敵にバッシバシ当たるの?弾倉交換どうやるの?」という感想は小学生でも持つと思います(苦笑)
スタローンやシュワちゃんのような「存在自体が異次元」の役者が主人公であれば、このような描写はむしろケレン味として「旨み」になりますが、リアルっぽく描いている本作では私にとっては完全に「萎えポイント」になってしまいました。

「ハクソー・リッジ」も戦闘シーンが非常にお粗末で、残念な思いをした記憶があります。
特にクライマックスでハウエル軍曹が主人公に引きずられながらM3グリースガンをフルートで撃ちまくるシーン。


ゴルゴ13並みの射撃センスでバッタバタと日本兵をやっつけていました。
彼のM1ヘルメットの下にはきっと「無限バンダナ」が巻いてあったのでしょうね。
やられるのが我らが日本兵というのもあって、残念感に拍車がかかりました(苦笑)
ハクソー・リッジの戦闘シーンについてとても面白おかしく書いている記事を見つけましたので、参考に載せておきます。
https://takmo01.com/post-943-943

本作に話を戻しますが、フルオート(or 3バースト?)で撃ちまくって敵を倒すのも個人的には萎えました。
実際には至近距離だとフルオートで制圧射撃したりするのかもしれませんが、こと「映画的なリアルさ」においてはマイナスだと思いました。
というか交戦距離がサバゲ並に近いシーンが多く、サバゲ経験者は親近感を感じると思います(笑)

薄くてボロい土壁を、至近距離で発砲したAKの弾が全く貫通しないのもサバゲっぽかったですね。
昔に比べて近年はリアルなFPSゲーム等の普及で「薄い壁や脆い障害物は崩れたり弾が貫通する」というのは常識的な感覚として認識されつつあると思いますので、そろそろ映画表現としてもこのあたりは見直しして欲しいところですよね。
(20年前のプライベート・ライアンではしっかり「壁抜き」シーンがありますが)


前回の記事にも書きましたが、この映画を心から面白いと思ってらっしゃる方には、非常に不快な思いをさせてしまったであろう事を謝罪します。
映画と初期アフへの「愛」ゆえの「可愛さ余って憎さ百倍」状態なので、どうかご容赦ください。
私はこの映画に対して非常に期待が大きかった分、少しの「アラ」に対してかなり敏感になっているのは確実です。
ただ逆に、これが史実初期アフ題材でなければこんなに憤りは感じない反面、1ヵ月後には観たことを忘れるような薄味映画だったとも思いますが。

こういった脚色の映画を観ると「アメリカはずーっと戦争しているんだよな。そりゃこういう映画も必要か。」と、良くも悪くも自分が平和ボケした日本人だということを自覚します。

お読みいただきありがとうございました。  


2018年05月09日 Posted by 4039  at 21:48Comments(0)初期アフガン映画ホース・ソルジャー