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 Posted by ミリタリーブログ  at 

初期アフ本「DESPERATE LANDS」解読 PART2



先日から始めたPS4ソフト「SEKIRO」ですが、順調にハマっております。


初見で手も足も出せず斬殺されて「は!?こんなの絶対勝てないだろ!無理無理!」という、「絶望感の化身」のようなボスキャラと何体も対峙しました。


ですが何度も戦って殺されている内に、次第に攻撃を躱せるようになり、死ぬまでに与えられるダメージも増えていきます。
ゲーム内で経験値を積んでキャラのパラメーターが成長するのではなく、己自身の腕前の向上を実感できます。
そして死闘の末、体力ギリギリで倒せた時の達成感は堪りません。

敵にトドメを刺す時は、半自動で「忍殺」という決め技が発動するのですが、これがケレン味たっぷりで、忍殺を決めた瞬間の「やったった感」が物凄いことになります。


達成までの苦労と迫力あるキメ演出のおかげで、ドバドバと脳内にドーパミンが分泌される仕掛けなんでしょう(笑)
プレイヤーにこの快感をしっかり味わわせて、どんどんのめり込ませるゲームというのが「良くできたゲーム」なんだと思います。
敗けた後再戦するまでの余計なストレス(ロード時間や最寄り復活ポイントからボスまでの道中)が程よく小さいのも、地味に利く美点だと思います。

SEKIROのプレイ体験は、まさに映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」そのものです。


SEKIROのような所謂「死にゲー」にハマった事がある方なら、120%感情移入できる作品です。

忍びの鍛錬を重ねる日々を過ごしている今日この頃ですが、そろそろ本題に入ります。

前回から結構間が空いてしまいましたが、忘れず少しずつでも進めておこうと思います。
19th SFGに所属し2002年にアフガンに派遣された、Regulo Zapata氏の自伝「DESPERATE LANDS」を読んでまとめていくシリーズです。


洋書ですがAmazonで電子書籍化されているので、簡単に購読可能です。

前回、導入&第一章まで進めました。
今回は第2章をまとめておこうと思います。
前回の記事:「初期アフ本「DESPERATE LANDS」解読 PART1

第1章は9.11後召集がかかり、住んでいるカリフォルニアからフロリダのMacDill空軍基地に出頭後、すぐにカタールに行けと言われたところまででした。

第2章は、カタールはドーハに向かう飛行機に乗ったところから始まります。

バーレーンで2時間給油のために着陸し、再度飛んで数時間後、午前3時にカタールのドーハに着陸しました。
その後、陸路でドーハ郊外アッサイリヤ陸軍基地(Camp As-Sailiyah)に到着しました。


アッサイリヤ基地は2000年にカタールのドーハに設立された米軍基地です。


Wikipedia:https://en.wikipedia.org/wiki/As_Sayliyah_Army_Base

到着後すぐに先任軍曹から施設の説明を少し受け、明朝ブリーフィング予定を知らされ4時に解散しました。
2時間仮眠を取り、6時に腕時計のアラームで目覚め、テントのフラップを開けると「まるででかいオーブンを開いたかのような熱気に襲われた」と記してあります。
辺りは見渡す限り黄色い砂のみで、木や鳥は影すらない荒涼とした風景だったそうです。

テントから20分歩いてJOC(Joint Operation Center)に着くと、エントランスのセキュリティチェックで待っている間、掛かっている温度計がなんと華氏133度(摂氏約56度)を指していました。
Zapata「これぶっ壊れてんじゃないの?」
衛兵「いや、ちゃんと正確に動いてるよ」とニッコリ
Zapata「こりゃあとんだ地獄にきちまったい」
的なやりとりがあったと記されています。

その後リー大尉という担当士官に連れられてセンターの中を案内され、ブリーフィングが開始しました。
アフガンはじめ世界各地の敵勢力と友軍の状況を説明されたそうです。

日暮れに休憩の為に外に出ると、ムスリムの礼拝が聞こえてきましたが、この後派遣されるアフリカでもアフガンでも毎日聞こえていたそうです。
その後、JOCで2ヵ月間勤務働していました。
同僚の米軍兵士は全員州兵か予備役の人間のどちらかだったそうです。
そこで後にアフガンで一緒に戦うことになるStanley少佐とPound少佐と出会いました。

ある日、空軍特殊作戦コマンドからジブチに特殊部隊人員の要請が来ました。
アメリカ軍はジブチにレモニア基地(Camp Lemonier)を設立し、アフリカの角周辺地域のタリバンとアルカイダのネットワークを破壊する為の各種秘密作戦を指揮していました。



レモニア基地Wikipedia:https://en.wikipedia.org/wiki/Camp_Lemonnier


これらの作戦を遂行する為には、特殊部隊員を援護する十分な航空支援火力、運搬力が必要でしたが、レモニア基地は航空戦力を安全に置いておける状態では無かったそうです。
空軍はレモニア基地の防衛部隊を欲していました。
そこで、カタールのJOCは対テロ部隊を指揮可能な人員をレモニア基地に送ることにしました。
その時JOC内でその資格があったのはZapata氏だけで、彼に白羽の矢が立ちました。

「いつか誰かから「どんなことに巻き込まれるか分からない事には、志願するなよ」と聞いた事がある」と記してあります。
「決して戦地に志願するな」という第一の掟を破り、辞令があった4時間後にはジブチに向かって飛んでいました。

以上が2章の内容です。
ざっとかいつまんで訳してみましたが、簡単に言うと「2ヵ月程カタールのアッサイリヤ基地に勤務し、その後ジブチのレモニア基地の支援要員として派遣されることになった」と、1行で完全に説明できる内容でした(笑)
1章からそうですが、「めっちゃ暑かった」とか、「この人は背がこれくらいで目が何色で髪の長さがどうこう」みたいな描写が多く、今のところ話の内容としては薄く、正直見どころ無しです(苦笑)

きっとアフガンに行ってからが本番だと思いますので、しばらく耐えながら読み進めようと思います。
お読みいただきありがとうございました。  


2020年05月12日 Posted by 4039  at 20:26Comments(0)DESPERATE LANDS

初期アフ本「DESPERATE LANDS」解読 PART1



中国に赴任してきて、今日でちょうど丸1年経ちました。
週末に家族で出かけたり、サバゲに行ったり、映画を観たり買い物したりという、日本では当たり前に出来る娯楽がほぼ無いのが少々辛いところですが、生活自体は特に大きな不便は無いです。
コロナの影響も、こちらでただ暮らす分には特別不具合はありません。
むしろ飲み会が激減して健康的になってます(笑)
現在中国は外国人入国拒否、日本は入国後14日間待機必要なので、親が死ぬとかでもしない限り日本に帰れないのは精神的にキツイ所はありますが。

週末は中国語教室に行きスーパーで日用品の買い出し、住んでいるホテル内のスポーツジム(今は自室でリングフィットアドベンチャーとFitボクシング)で汗を流し、後はテレビ鑑賞、ネトフリ&アマプラ、PS4にSwitchと、一人インドア遊びに没頭しています。

香港には日帰りで遊びに行ける距離なのですが、昨年赴任直後からデモが始まり、そのままコロナ騒動突入で国境閉鎖状態なので、まだ1度しか遊びに行けていません(苦笑)
流石にコロナの前ではデモどころではないようですね。
映画であるような、宇宙人が地球に攻めてきて人間同士の戦争が止まるみたいな感じですね。

業務はまあ順調でやり甲斐があり、給料は日本にいる時の約倍、帰任後の出世の足掛かりになるので決して悪い話ではありません。
住居も日本ではとても住めないような高待遇です。
妻子に数ヵ月に一度しか会えず、しばらく子育てに寄与できない事が最大のデメリットです。
家族に負担を掛けた分、しっかり出世して稼いで楽させてあげたいところです。

そんな日々を過ごす中、結構前に買ったまま放置していた初期アフ本の解読に着手し始めましたので、考察の整理と備忘録も兼ねて記事にしていこうと思います。
トップ画像に表紙を載せましたが、「DESPERATE LANDS」という本です。
直訳すると「絶望の地」といったところでしょうか。
9.11後、19th SFG(ODA 995)に所属していたRegulo Zapata Jr.氏が自身の対テロ戦争の従軍体験を綴った、2007年発行の作品です。
表紙に写っているおじさんがZapata氏です。
私はわざわざ本をアメリカから輸入しましたが、いつの間にかkindle版が出ていました。
これで入手のハードルは一気に下がりましたね。良い時代です。

Zapata氏が写っているミリフォトはネット上でも結構転がっています。






Zapata氏が写っているアフガンの写真=ODA995の初期アフの写真が確定ということです。
確固たるソースが明確なミリフォトは意外と少ないので、ありがたい事ですね。
誰かが断定的に言及した間違った情報が独り歩きして、いつの間にか「真実」として扱われてしまうのはこの界隈では結構ありがちなので、このブログ含めて何でも鵜呑みにしてはいけませんよ(笑)
ちなみに本ブログでは、上記写真のように余程確定的な情報でない限り、「と思います」や「かもしれません」のような、主観的、非断定的な表現にする事を心がけています。
読まれた方がどこかで「断定的な情報」のように再発信してしまうと結局意味は無いですが。。
ネット社会が進めば進むほど、情報リテラシーの高さが生活の質をより左右する事になっていきそうですね。

本の中にも白黒ですが写真が載せてあり、見覚えのある写真の素性が分かったり、この本でしか見られない写真もあるので、初期アフファンなら写真を見るだけでも買う価値はあると思います。






200ページ以上の内容で当たり前ですが全編英語なので、気長に読んでいこうと思っていたら全然やる気が起きず放置しまくってしまったので、ブログ記事にし始めることで自分の尻を叩こうと思った次第です。
また、それでも滞って期間が空いてしまった場合でも、ブログを読み直せば大筋はすぐに記憶を取り戻せて、再開するハードルが下がると思いました。

そんな感じで、まだ全編読んでもいないのに見切り発車な考察シリーズのスタートです。
読み進める内に考察が変わり、記事内容に矛盾が生じるかもしれませんがご了承ください(出来るだけ無いようにしますが)。

まずは序文にZapata氏の来歴が書いてありました。
75レンジャー→5th SFG→12th SFG→19th SFGと渡ってきた大ベテランです。
19th SFG(ODA995)に組み込まれたのは軍歴27年が経過したときでした。

9.11発生時は既に予備役(19th SFG所属)だったので、普段はカリフォルニアのサンタクララ郡のギルロイでパークレンジャーをしていたそうです。
9.11の数か月後、まずはアフリカのジブチに派遣され、その後3rd SFGの交代としてアフガン東部に派遣されたようです。
本書はジブチ、アフガン両方の従軍体験が記してあります。

目次はこんな感じです。


1記事1章だとしても、16記事の長大シリーズになりそうですね。
とりあえずしばらくネタには困らなそうです(笑)
それでは、気長に読み進めて内容をまとめていこうと思います。

1章 出頭
9.11の数週間後にSpecial Opelations Command Centralという機関からフロリダのMacDill空軍基地への出頭命令が来たと書いてあります。


いきなり「諸手当がちゃんと払われなくて修正するのが大変だった」という愚痴が書き連ねられているのが生々しいです(笑)
カリフォルニアのギルロイからフロリダのMacDillまで車で向かい、途中テキサスの実家を訪ねたそうです。
いきなり車でアメリカ大陸横断という大ロードトリップをやってのけますが、エピソードは実家に立ち寄った話くらいで、まるで1泊2日くらいの感じで終わります(笑)

予定より1日早くMacDillに着いたので、先にアフガンに派遣されていて帰任していた友人に話を聞いたとあります。
指令は基地内にあるSpecial Operations Command Central(SOCCENT)に出頭することで、初日に司令部に挨拶にいった詳細がつらつらと書かれています。

初日の出頭時に、2日後カタールのJoint Operations Center(JOC)に配属されると言われます。
2日間で各種メディカルチェックや法手続きが行われ、装備品が支給されました。
てっきりZapata氏は任期の6ヵ月間はMacDillで任務に就くものだと思っており、「フロリダの素晴らしい気候の元で毎日働き、妻とタンパに遊びに行こうと計画していたのに」と、ここでも不満噴出です。
文中に忽然と「Shit!」と出てきて笑ってしまいました(笑)


しれっと「任期は6ヵ月」という重要情報が出てきました。
部隊や役職等によって任期が違う可能性は大いにありますが、Zapata氏と同じ19th SFGや同じく予備役の20th SFGの隊員であれば6ヵ月だった可能性が高そうですね。
そうなると、初期アフミリフォトである人物が2枚の写真で確認できた場合、その2枚の時間差は6ヵ月以内である可能性を考慮できますね。
ちなみに以前の記事で19th SFG所属のRandy Watt少佐も2002年5月には派遣されており、同年12月に帰還したと考察しました。


過去記事「初期アフガンお宝映像考察 PART5

中隊長クラスでも半年の任期だったと思われるので、少なくとも中隊規模で任期は同じだったのかもしれません。
読み進めていけば、Zapata氏の任期もRandy氏と被っていた事が分かるかもしれません。

さらに、上の方で書きましたが、19th SFGは3rd SFGの交代要員としてアフガンに派遣されたようです。
19thは上記写真に入っている日付を信じれば、2002年5月にはアフガン入りしています。
引き継ぎ期間を1ヵ月程度と想像し、アフガン戦初動の5th SFGのタリバン殲滅戦の時期を考えると、3rd SFGがアフガン派遣されたのは2002年春~2002年夏あたりの半年間だったのかもしれませんね。
少なくとも2002年8月時点では、まだ3rdはアフガンにいたと思われます。

以前考察した初期アフドキュメンタリー「Profiles From The Front Line」で登場する3rdの隊員は基本半袖です。




同じ番組内で19th SFGの取材もしており、3rdと同じような薄着であり、取材効率を考えてもこの番組は3rdと19thが入れ替わる時期に撮影されたのだと考えるのが自然ですよね。
そうなると、この番組は2002年の5~7月あたりに撮られたものなのかもしれませんね。

入れ替えに際し引き継ぎは必ずしていたと思うので、2002年半ば頃で3rdと19thの隊員が一緒に写っている写真が存在する可能性もありそうですね。
写真は無くとも、引継ぎ時期に3C(3rd)とWL(19th)のSPEARを装備している隊員が一緒に行動していた時期があったであろうとは想像できます。

※この写真は映画「ホース・ソルジャー」のもので、あくまでイメージです。

その時に隊員同士でポーチ交換、譲渡をしていたと妄想すれば、3CとWLのSPEARを混ぜるという妄想装備の根拠(言い訳)にできそうですね。
そんなバックグラウンドを妄想して、WL SPEAR装備の中に1つだけ3CのELCSポーチを忍ばせたりすると良いアクセントになるかもしれません。
「リアルな装備」からは遠ざかりますが、私はそういう「あそび」は嫌いじゃありません。

こうして複数の情報源を繋ぎ合わせて、自分なりに新しい考察を生み出せた時は快感です(笑)


話が逸れましたが、本文の続きに戻ります。
フロリダに着いたと思ったら、すぐにカタールに行けと言われたZapataおじさん。
準備が終わった後、世界状況の説明と赴任地に関するブリーフィングを受け、カタールのJoint Operations Center(JOC)に向けて飛び立ちました。
手当はちゃんと払われないわ、思ってたのと違う所に飛ばされるわで、不満たらたらなZapataおじさんの第1章でした。

こんな感じでまとめていければと思っています。
考察題材が文章なので、画像少な目の地味で長いシリーズ記事になりそうですが、お暇でしたら今後もお付き合いください。

お読みいただきありがとうございました。  


2020年04月01日 Posted by 4039  at 00:09Comments(0)DESPERATE LANDS